社会で生き残るためには、何を考える必要があるのか.
どうも、最近プライベートや仕事で考えさせられる出来事がしばしばありました。
祖父の入院とか、会社の同僚が精神的にダメージを受けて休んでしまったり…。
今日は後者について、個人的に綴っていこうと思います。
まず、社会人として生きていくためには鋼のメンタルが無いと生きていけないと思います。
自分の夢ややりたいコトを絶対に叶えてやりたいと思っている人は鋼のメンタルが無ければダメと私は考えます。だから、夢を叶えた人、やりたいコトをやっている人は尊敬に値するし、すごいと思う。ただ、前提としてそれを継続できる力があることが条件ですが…。
僕らのような一般人(一緒にされちゃ困るという声もあるかも(笑))は、どうやってこの厳しい社会で生きていくべきか。
本来であれば、冒頭で書いたように夢ややりたいコトがあって、頑張りたい。
ただ、そうはいかない。僕は一般的なサラリーマンだし、それがやりたいコトかといったらそうではない。人間関係、仕事のプレッシャー、住宅ローン、愛犬のコト、老後資金考えることはたくさんある。全部が全部全力でやってたら僕という人間がいくつあっても足りないと思う。
だから、生存戦略として何かを捨てて生きていかなければならない。自分に制御できないキャパシティーは削減していくしかない。
私個人的に削減していく要素としてはこうだ。
仕事<お金<家族
というか、みんなこうなんじゃない?各要素で考えたとき、仕事は個人事業主でなければ誰でも出来る仕事になる。辞めたとしても一時的な混乱はあれど、2カ月も経てば前の担当者のことは忘れてる。実際に私の同僚が辞めた時も2カ月も経ったらその人のことは忘れてる。みんな自分が特別に思いたいけど、仕事に関しては正直特別というものは存在しない、たまたまプロジェクトに関わっているのが私だっただけのコト。だから、僕は仕事はいつでも辞められるものとして捉えて生活をしてる。
そして、お金のコトと、家族のコト。正直この要素は僕個人的には同列だけれども敢えて比較するのであれば、この順番ということ。イッテQでデヴィ夫人も言ってたけど、愛して愛して愛して大好きな男性…年間200万円の収入の人と、(愛がない)年間200億の収入の人とどちらを選びますか?という問いに、「どんなに愛してても他の人の生活を見る、他の人の住んでいるお家を見る、他の人が着ているお洋服を見る。だんだん愛は失われていきます」と続ける。「200億円の人と結婚すれば、愛がなくても、尊敬と信頼はあるわよね。そうすると次第に愛は生まれます」。だから、僕はニアリー=(イコール)で考えている。
で、話は戻すけども、仕事では必要最低限以上のリソースはかけないのが良い。というのが結論。
ただ、どうしても仕事を頑張らないといけないタイミングもあるし、そこはケースバイケースで。
僕も日付を超えて仕事も稀にあるし、大型案件だとこうは言ってらんない。そういった時は自分自身のご褒美をあげたりメリハリをきちんとつけている。
誰もが全力疾走で走り続けることが出来ないように、精神力も全力疾走はずっとできない。
潰れてしまった人たちを見て共通しているのは、「常に頑張っている人」。
ただ、このケースバイケースが非常に難しいよね…。
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